いま愛であるならば、私はどうするだろうか
できるだけ得をしようとか、なるべく損をおさえようとか、そのような観点で生きていると、
不安にばかり駆り立てられるから、それは源や魂につながる本当の自分から遠ざかってしまう。
不安・怖れの反対側にあるのは愛。愛に損得はなく、何の守りも必要しないし、失うものもない。
不安な気持ちになったなら、その反対側に愛があることを思いだして、ストップ!
ただ愛するのか、愛し損なうのか、だけが試されているー
今、愛であるならば何をするだろうか?
もらおうとする人、欲しがる人(Taker)から、与える人(Giver)になってみたら、何をするだろうか?
魂が追求しているのは在り方
魂にとっては生活するために何をするかなどは、どうでもよくて、暮らしている間にどんな在り方でいるか、だけが大切なこと。
魂が追求しているのは在り方であり、どんな行動をとるかはご自由にどうぞ。
幸せ、喜び、悲しみ、強さ、弱さ…etc etc、いま何を選択してもかまわないけれど、その先「愛」と呼ばれるところへ行こうとしているのか、「不安や恐れ」と呼ばれるところへ行こうとしているのかと、立ち止まってみて。
いまこの瞬間、魂は私が源とつながった本当の自分を思い出すために、行動する機会を創造している。そこで私がどんな在り方でいるかを、ただただ見守っているよ。
オーバーソウル
魂は過去、現在、未来、すべての瞬間に存在する私という個の生命を見つめている。
完璧な生命の曼荼羅を眺めている。
魂は私に本当の自分を思い出させようと、いつでもそばにいる。
源とつながった本当の自分を思い出させようとしている。