魂はどこにあるの?
魂はあらゆるところに存在し、身体を包んでいる。
身体とともに運ばれているのではなく、魂は身体を中にいれて運んでいる。
大いなる源が宇宙を包んでいるように、魂は私を束ねている。
個を包んでいるかのようなオーラは空気のようなもの。空気はすべてにつながっているように、
ここからここまでという境界線はなく、ぼんやりとグラデーションになっている。
魂はそのようなもので、みんなをひとつに束ねている。
魂は人格化した自由
前世とは、個人の時間軸の上に連なっているものではなく、別の形態としてパラレルに存在している魂の一部。個人の時間軸でみればそれは過去であり未来である。
魂は押し付けられるあらゆる制約に反抗することで自由という体験する。誕生そのものは形を示すことであり、それは制約にはいること。死は制約からの解放。眠りでも同じ解放がおきる。
魂が身体に宿るのではなく、魂が身体を包む。魂はそうしようと選択したときに新しい物質に変わる。
生命のプロセスを通じて、源は自らを創造し(魂の領域を創造し)、人という形を成しては生を創造するという経験をする。
プロセスが永遠に続いている。
源とのつながりを思いだすには魂を知ればいい
魂は源からつながったエネルギーの一部、私の今も未来も過去も、私とは何者なのか、何を体験しようとしているのかも、全部知っている。
一番私に近い源のエネルギーだから、源とのつながりを思い出すためには魂を知ればいい。
自由は魂の性質そのもの
自由は魂の性質そのものであり、魂はもともと自由。
本当に進んだ社会(宇宙人の社会?!)では自由が権利として認められているのではなく、事実そのもの。自由はあたりまえにすでに在るもの。
自由を認めるというのは相手にどんな制約も課さないし、否定をしないということ。
自分自身の経験をただ選択しづつけるだけ。
パズルのワンピースであり続けるだけ。それは自身の宣言であり創造。
愛は自由、魂も自由以外の何ものでもない。「愛」「自由」「魂」は同義語。