いまここ

ライトワーカー目醒めの実践講座

時間はどこにあるのでしょう?

時間を探してみてください。どこにありますか?
グリニッジ天文台に? 日本の標準時と言われる兵庫県明石市に? 駅のホームにある時計のなかでしょうか?いいえ、世界中のどこを探しても、時間そのものを見つけることはできません。時間は外ではなく、あなたのなかにある測りであり、人間の思考のなかにあるイメージだからです。

人は時間を直線で並んでいるものとしてイメージしがちです。
過去→現在→未来  
タイムマシーンがでてくる映画をみると、過去や未来は後ろや前にあるような気がしますよね。

私たちは過去のことを思い出しますが、それは実際に手にとれる実体ではありません。未来について考えますが、それもまだありません。過去についても未来についても、すべて「いま」の頭のなかに現れてきたイメージです。「いま」の上に、過去という思考、未来という思考が湧き上がっているのです。

こうして見ると不思議にみえてきませんか。時間はあるのでしょうか?過去や未来がイメージなら、「現在」という時間はあるのでしょうか?“時間“ではないですよね。言葉を変えるなら「ずっと在る」です。

そして、「ずっと在る」いま、実体としてあるのが身体です。私たちは、いまここで、時間を作り出しているようにみえませんか?

「時間がない!」は本当?

自然界は時間に動かされているのではありません、そして人間の身体もその自然の一部です。

人はひとりでは生きていけません。みんなで協力して生活を営んでいます。その社会の仕組みをスムーズに働かせるために、共通して認識できる測り、それが時間なのです。

世界中をみんな同じ測り方にするわけにはいきませんよね。地球は丸くて自転しているから、場所によって日照時間が違います。日本に陽があたっているとき、アメリカは日陰になるといったことが起きるのです。どの国も、主に太陽が上がっている日中に社会活動していますからね。太陽の光が当たりはじめて天空高く昇る頃までを午前と定義すれば、当然、地域ごとに時間の読み方が違うー時差がでてくるわけですね。

私たちは、子どもから大人へと育つ過程で、家庭や地域環境の影響や教育をうけ、頭のなかにたくさんの「観念」を持っています。これはこうあるべきという前提ですね、言いかえると「思いこみ」です。いろんな経験で柔軟に変わっていくものかもしれませんが、頑固な思いこみは時に人を枠にはめてストレスもうみます。

「時間はこれだけしかない!」というのも思いこみだったとしたら?

過去も未来も、いまここで考えているイメージです。未来を想像して、いまここで何かの行動をおこすと、それは起こす端から次々と過去の記憶になっていきます。私たちの想像と行動が、「いまここ」で時間をつくりだしているのですよ!

逆なのです。時間という枠のなかで行動しているのではなく、私たちの「いまここ」での行動量が時間をつくりだしているのです。つまり、いまここにいないと時間が作れません。考えすぎて思考過多になると、いまここにいないから、時間がない!と焦ることになるのです。

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